常にどこかで誰かが死に、今、私はここで生きている。
彼は私より生を願っていたのだろうか。
それとも死を望んでいたのだろうか。
何も考えていなかったのかもしれないし、深く思い詰めていたのかもしれない。
思念は、命運の前ではあまりに非力で、如何なる想いも、力においては単純な現象に及ばない。
私は他人事ながら残酷な現実に胸を痛め、時折「後ろめたくない生き方とは何か?」と、考える。
その答えはいつも同じ・・・「懸命に生きる」という事だ。
だとするなら「懸命に生きる」とは何だろうか。
この答えは、いつも違う。
なるべくなら、
努力を怠らない。
何事にも全力を尽くす。
最善な選択を模索し続ける。
大切な者の利益になるよう努める。
自身に誇りを持つ。
存続を感謝する。
若しくはその全て、或いは他の何か。
今は、問い掛けを忘れないことが・・・思考の堂々巡りを無駄だと思わないことが。
紆余曲折を経て人間不信。
人を好きになる事に抵抗はない。
ただ・・・人を、愛すべき足手纏いを、信じる事が「難しい」と感じるようになった。
期待や信用は情熱よりももどかしさを招き、不甲斐ない者の傷を執拗に深めるばかりだ。
不安を押し殺して見る夢に、果たしてどれほどの価値があるだろうか。
願望は叶える事よりも抱き続ける事の方が・・・
私の心は今も昔も虚無と渾沌。
暗く冷たい土中のようなネガティヴ思考がよく馴染む。
ちょうど8年前に入籍をしていた。
ゾロ目である事と、記念日を特別な日と重ねる事が、ロマンだと思っていたからだ。
若気の至りとはよく言ったものである。
当時、落ち着きたい一心で結婚願望が強かった。
ただそれだけの事で、課せられる重責、果たすべき役割等はまるで分かっていなかった。
協調性、包容力、反骨精神、忍耐力・・・私に欠けているものは未だ枚挙に暇がない。
「結婚は幸福の前提条件か」と問われると、私は「違う」と答える。
「なら避けるべきシステムか」というと、そうでもない。
配偶者と人生を共にする、子供を儲ける、持家を購入する・・・壮大ではあるが、いずれもライフスタイルの選定に過ぎない。
生物として子孫を残す重要性は、今時の人間には当てはまらない。
なるべく他人を悲しませる事なく、自分が満たされる生涯を送れれば、それで良いではないか。
人を裏切るな。
空気に流されるな。
世を呪うな。
悪いと分かっている事をするな。
穢れなき生涯などあり得ないからこそ、限りなく清くあるべきだ。
・・・半ば自分に言い聞かせながら。
一睡も出来ない程の不眠は殆どなくなり、私は心の平衡感覚を取り戻したようだ。
定石を無視して選び続けた選択のツケなのだろう。
自らの愚かさに嫌気が差す事はあるが、後悔は無い。
いくつになっても航路は先の見えない未来だが、理解と覚悟を以って歩む事で、それなりの境地に辿り着けると信じている。
可能性、生きる喜び、微かな希望・・・「ようやく人生に一筋の日差しが差し込んだ」と言うのは大袈裟かも知れない。
メンヘル街道からコースアウトすれば、果たして幸せになれるだろうか。
境界を漂い続ける者のささやかな疑問。
感謝と諦めで葬ったはずの感情が、成仏し切れない幽鬼のごとく夢に現れる。
再現率の高い残像は、癒すどころか爪痕をなぞり直すような痛みを進呈する。
屈託の無い笑顔、私を呼ぶ声、安堵を認知し、気の緩まる感触・・・辞めてくれ。
私の好きな貴女は、とうに私を置いて死んだのだ。
そして私も貴女を想い、敬い、後を追った。
今更、それも現実ではなくただのヴィジョンに苦しめられる理由が分からない。
私を何処へ連れていこうというのだ。
貴女にとって私が無用であるように、私も貴女を必要としていない。
それに今は気になる人が居る。
足を引っ張るのは誰だ。
優しく囁く悪夢の正体が分からない。
仮に「深層が奇跡を望んでいるのだ」と偉い人に指摘されようと、私は絶対に認めない。
利いた風な分析にカテゴライズされてなるものか。
少なくとも・・・悲劇に酩酊するほど弱くはない。
粉々に砕いた私の中に、まだ貴女の色の破片があったとしても、前に進むと決めたのだ。
記憶よ意思よ未来へと向かえ。
新しい喜びを手にして見せよう。
すべての私よ、力を貸してくれ。
苦悩はいつか架け橋になる。
信じろ、悼む夜が明ける日が来たのだ。
親しみすら覚える眠れない夜。
かつては「おやすみ3秒」と揶揄されていたものだが、暗澹とした夜も板に付いてきたようだ。
仕事のスケジュール、新しい生活プラン、気がかりな友人知人、自分の在り方について。
今考えなくても良い事に脳が回転し、神経が活性化していく・・・。
睡眠導入剤(ベンドロール)とはどうも相性が良くないらしく、こうして駄文を綴る事で気を紛らわしている。
私の睡眠を妨げて何の得があるのだろう。
聴いた事があるような無いような悲しい旋律が脳裏に浮かぶ。
それがヴァイオリンであったり、ピアノであったり。
懐かしくも痛々しくもある正体不明の曲は、私に何を伝えようとしているのだろう。
他愛の無い日常と、そうでなかった頃の記憶が無意識に浮かんでは消え、表現し難い感情の波が身体に熱を持たせる。
この身体は何を望んでいるのだろう。
答えの無い疑問は際限なく続き、これからも私を惑わすのだろうか。
渾沌とした夜は間もなく明ける。
憂鬱な朝を迎え、草臥れた身体で昼を乗り切り、今夜の安息の訪れを願う。
今になって、ようやく少し覚えた気がする。
独りで生きるのが怖い。
言い知れぬ心細さだけがいつも鮮明で、拭い切れない不安に自身の弱さを痛感した。
人を想う気持ちを偽りこそはしなかったが、私がこれまで求めていたのは恋人などではなかったのかも知れない・・・
自分を磨く動機。
自分の居場所を確かめる磁石。
そして、自分が狂ってしまわない為の制御装置。
何よりも大切な存在は陶酔に似た錯覚で、やはり自分が一番大事だったのだ。
それでも、今まで良い恋愛をしてきたと思う。
深い深い悲しみはあっても後悔はないし、そもそも私が人に惹かれる事が、奇跡に等しいのだから。
取り巻く環境は私が伴侶を得ることを望んでいるようだが、そんな気にはなれない。
安売りも身構えもせず、自分の気持ちには正直であり続けたい。
過去ブログの記事をどうするか・・・
ありがちなようで、考え過ぎかも知れない悩みである。
今のところの選択肢は3つ。
消去法により、放置は脱落。
方向性も大切だが、今はレイアウトの修正に励むのが先決か。
ちなみに、三択の板ばさみをトリレンマという。
di (2重の)+ lemma(補助定理)=dilemma(ジレンマ)
tri (3重の)+ lemma(補助定理)=trilemma(トリレンマ)
この記事のケースは、投稿する時点で二択に絞られているので、ジレンマ。
少しややこしいだろうか。