感謝と諦めで葬ったはずの感情が、成仏し切れない幽鬼のごとく夢に現れる。
再現率の高い残像は、癒すどころか爪痕をなぞり直すような痛みを進呈する。
屈託の無い笑顔、私を呼ぶ声、安堵を認知し、気の緩まる感触・・・辞めてくれ。
私の好きな貴女は、とうに私を置いて死んだのだ。
そして私も貴女を想い、敬い、後を追った。
今更、それも現実ではなくただのヴィジョンに苦しめられる理由が分からない。
私を何処へ連れていこうというのだ。
貴女にとって私が無用であるように、私も貴女を必要としていない。
それに今は気になる人が居る。
足を引っ張るのは誰だ。
優しく囁く悪夢の正体が分からない。
仮に「深層が奇跡を望んでいるのだ」と偉い人に指摘されようと、私は絶対に認めない。
利いた風な分析にカテゴライズされてなるものか。
少なくとも・・・悲劇に酩酊するほど弱くはない。
粉々に砕いた私の中に、まだ貴女の色の破片があったとしても、前に進むと決めたのだ。
記憶よ意思よ未来へと向かえ。
新しい喜びを手にして見せよう。
すべての私よ、力を貸してくれ。
苦悩はいつか架け橋になる。
信じろ、悼む夜が明ける日が来たのだ。
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 統合せよ
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://code.16160e.org/mt/mt-tb.cgi/124
深く埋めたつもりが、一夜の幻により感覚までもがリアルに蘇ります。
遠い日の自分に同調してしまう事が、逃れられないトラウマのようで・・・
「これも自分なのだ」に救われました。
無理に消去しようとせず、受け入れてしまえばいいのですね。
悲しみを優しさに変える試みに少し似ている気がします。
貴重な意見ありがとうございます。
そう、現実は終わったことをむし返す。
自分も前を向いて歩けているはずだった。
しかし、唐突に押し付けられる幻覚に為す術はなく、道行く女性に血塗られた母親の影を見てしまう。
…
慣れとは怖いもの
「ああ、またか」と日常の風景に溶け込んでいく。
別に忘れるつもりはない
ただこれも自分なのだと発見できた。
それはあなたが前を向いて進めている「証拠」なのだと思う。