livedoor ニュース(R25jp)で「どうして女性よりも男性の方が失恋を引きずるの?」といった興味深い記事を見掛けた。
記事内の恋愛カウンセラー曰く主な理由は・・・
無意識のうちに『自分が好きな相手は自分のことを好きなはずで自分がフラれるはずはない』と思っている。
"テストステロン"という男性ホルモンの作用で『あいつは俺のものだった』という意識が離れない。
との事だが、どうも釈然としない。
私も綺麗サッパリ忘れられるタイプではなく、過去の幻影にさいなまれるのだが、上記のような感情は皆無だ。
自分の不甲斐なさを恥じるばかりである。
根拠の無い思い込みも人を所有物とするような考え方も苦手だ。
自分の感情の波ですら綱引き状態で統合に苦心しているというのに、どうして他人の心が思い通りになろうか。
見解を否定するつもりはなく、世間一般ではそうだろうなと遠巻きに見ている。
ただ、私には当てはまらない。
いずれにしても、ピリオドはトドメを刺すくらいの意気込みでキッチリとしてほしいものだ。
末尾の好きだった人を早く忘れる方法は一見の価値あり。
亡くなった斉藤氏の冥福を祈ろう。
享年17歳、若者の未来が絶たれるニュースは特に痛ましい。
今回はたまたま死なせてしまったがためにクローズアップされているだけであり、かつ「大相撲協会を叩く絶好のタイミング」が事件を後押ししているに過ぎない。
明るみに出ていないだけで、同じような理由で命を落とした力士が他にも居ると考えるのが自然ではないだろうか。
相撲に限らず、体育会系特有の暴力行為は昔から往々にしてあった訳で、それは一種の「洗礼」としてまかり通っていたはずだ。
暴力は身勝手で短絡的な行為である。
社会において許されることではない。
しかし、ある程度の体罰は必要だと私は思う。
「痛い目を見ない」という保障は、人を堕落させるリスクも孕んでいるからだ。
かと言って、どこまでを教育(シロ)とし、どこからを暴力行為(クロ)とするのか・・・明確な定義は困難である。
もっとも、必要なものは線引きではなく、適切な判断と裁量なのだが。
昨日の記事
先日納めた商品の不具合によるクレームがあった。受付担当の販売員は、とりあえず謝罪をし、メーカーの担当者から状況確認の電話を入れさせたところ、初期不良と発覚。
通常、初期不良時の対応は、良品との交換である。
しかし、お客様はその商品がイヤになったらしく、話し合った結果、返品となった。
他メーカーの商品を他店で買うらしい。事態が落ち着いたのち「この商品は売りたくない」とぼやく販売員。
一連を目の当たりにし、違和感を覚えた。
私は営業ではないが、何かがおかしいと思った。
の続きだが、個人的に違和感のあった点は3つだ。
1) 良品との交換による交渉の余地は“本当”になかったのか。
販売業において返品は、売り上げを逃すと云うことだ。
返金方法が振込みであれば、振込み手数料分は確実に赤字になる。
結果はどうあれ、物を売る仕事なら説得を試みるべきではないのだろうか。
必死さが足りないと思った。
2) 何故、他店で購入をされたのか。
商品に対する嫌悪や不信感のみであれば、わざわざよその店で購入をするだろうか。
「こちら側に何らかの落ち度があり、お客様に“取引をするに値しない”と判断されているのでは?」
そんな疑問が浮上してもおかしくないはずだ。
そこに反省がなければ、今後も同じことの繰り返しである。
3) 売りたくない商品を売ったのか。
1と少し似ているが・・・
許されることではないが、初期不良は事故のようなものである。
「この度は迷惑をおかけしてしまいまして、誠に申し訳ございません。ただ、本来はご満足いただける商品ですので、検品を徹底させたのち、良品と交換させていただく訳にはいかないでしょうか。」
ぐらいのフォローは、必須ではないだろうか。
その商品に自信が無いのであれば、あらかじめ無難な機種を薦めておくのも手だ。
後付けの理想論ではなく、私ならそうする。
この件に関して引きずるつもりはないし、そもそも私は人に何かを期待をしたり、求めたりはしない。
組織的に問題視されなかったため、黙認することにしたのだが、違和感をぬぐえなかったので記事にした。
「私はこう思うのだけど、あなたはどう思った?」
それだけの話である。
先日納めた商品の不具合によるクレームがあった。
受付担当の販売員は、とりあえず謝罪をし、メーカーの担当者から状況確認の電話を入れさせたところ、初期不良と発覚。
通常、初期不良時の対応は、良品との交換である。
しかし、お客様はその商品がイヤになったらしく、話し合った結果、返品となった。
他メーカーの商品を他店で買うらしい。
事態が落ち着いたのち「この商品は売りたくない」とぼやく販売員。
一連を目の当たりにし、違和感を覚えた。
私は営業ではないが、何かがおかしいと思った。
それが何なのかは明日の朝に書くつもりだ。
あなたは何かを感じただろうか。
昨今、ゴールドラッシュのように問題がザクザク出ている牛肉偽装問題なのだが・・・('A`)
人はどこまで心を失えば「業界全体の体質も(警察に)説明しなきゃいかんと思うし、販売店も悪いし、半額セールで喜んで買う消費者にも問題がある」やら、「もちろん私が一番悪いんですけども…消費者自体も安いものばかり求めるから」などという言葉が出てくるのだろうと思った。
ネタなのだろうか(ノA`)
私も“物を売る商売”をしていて、安過ぎる商品には大抵ウラがある事を認識している。
ただ、プロとして「安いのが良い」と仰るお客様にも、「値段相応ですよ?(ここまでストレートな表現ではないが・・・)」ぐらいの説明はする。
理想論と言われれば、それまでの話だが、ビジネスは利益と共に信頼を得るものでなくてはならない。
売り手と買い手、双方の「得」を目指さない商売人は、亡者である。
しかし仮に、不正行為が横行している業界がそれによって生まれる利潤を返上すれば、生きていけなくなる者も出てくるだろう。
腐った経営者が自分を正当化するには格好の大義名分だ。
私の知る限り、会社という組織の自浄作用には、ほぼ期待できない。
「儲からない=何も生まない」が通説だからだ。
ビジネスマンである前に、人間でありたいものである。
「当ホームページでは、無断リンクを禁止しています!」
10年以上前から続いている一部のウェブサイト運営者による主張。
初心者ないし、ウェブをあまり得意としない層に多く見られる。
これに対し・・・
「不特定多数を対象に自ら公開しているページに、"勝手にリンクを貼るな"とは何様だ!」
「いちいち承諾を求める心境が分からない」
という反論。
ウェブ知識に長けている層に多い。
私もこういった"無断リンク禁止"を掲げるサイトに対し「自意識過剰だ」と嘲笑い、意味を成さない"潔癖ぶり"を侮蔑していた時期があった。
・・・いや、今も少しそう思う。
しかし、よくよく考えてみると"独り善がり"とは言え、彼等の主張に実害などがある訳も無く、いちいち腹を立てる程の事でもない。
・・・が、"これらを批判する側"の大半は、攻撃性・弁舌に長けており、その厳しい指摘ぶりには悪意すら感じられる。
・・・果たして愚かなのはどちらだろう。
そもそも何がしたいのか。
・・・また釣りか('A`)
人は愛する者とさえ、価値観をすべて賛同する事など出来ないのが現実だ。
また、知識や理論が正しいとしても、伝達方法が不適切ならば、そこに相互理解は有り得ない。
主義、文化、宗教などなど・・・色々な事象に共通する"相容れない意見の衝突"
"尊重"とまでは行かなくとも、意見の相違に対して、寛容になるべきではないだろうか。
少し前からネットで蔓延している「読み逃げ」をご存知だろうか。
記事をただ読むだけの行為を「マナー違反」とするらしい。
「逃げ」という言葉を用いる辺り、「見ているのに、何でコメントをくれないの?」といった想いが伺える。
何とも身勝手・・・と言うか痛々しい思考回路だ。
ブログやSNSは、自己満足で続けるものではないだろうか。
ただでさえ自己満足で書いている記事に、更なる満足を求めて「レスを付けろ」と?(゚Д゚)
もうね、何様なのかと。
社交辞令的な会話は、ネット・現実を問わずコミュニケーションとは言わない。
それが強要されて、ひねり出した言葉ならなおさらだ。
ここには「考える」という大義名分があるものの、動力源はやはり自己満足だ。
知人や赤の他人がわざわざ見に来てくれているだけで、私は十分ありがたい。
「また来る」とか「もう来ない」とか関係ない。
「来てくれて(見てくれて)」ありがとう、だ。
こんなところで閲覧者に収穫があろうものなら、冥利に尽きるというものである。
熱くなってはみたものの、読み逃げはネタ説が有力orz
ホワイトデーは日本独特のイベントらしい。
故に、ホワイトデーに何を返すか・・・これは世の日本男児の永遠のテーマかもしれない。
特に義理!なんとういう社交辞令・・・orz
義理返しは1.5倍という風潮は理解に苦しむ。
対価を求める義理がどこにあるのかと。
・・・・・・釣りか?
私の周りには、そういう輩が居ないので、ネタだと信じたいところだ。
バレンタインに「お返しは要りません」と言い切る人には、好感が持てる。
「それすらも計算!?」とは考えないようにしている。
この時期になるとオレンジデーやらブラックデーなるものもあるのですよ的なネタが氾濫して、おなかいっぱいになる。
貧民としては、商業的イベントに踊らされる日が減るのを望む。
これもまた永遠のテーマか・・・
本当に大切なのは二人だけの記念日。
最後に良い事を言ってみる。
いわゆる赤ちゃんポスト。
近年、遺棄が問題となっている新生児を善意で引き取る救済措置で、ドイツでは既に実施されているらしい。
実現すれば、文字通り親は匿名で子供を投函可能となる。
子供が欲しいかどうかという価値観はさておき、産まれてきた子供に愛情も責任も持てない親が増えつつあるのは嘆かわしい。
勿論、救われるべくして救われる親は多少なりとも居るだろうが、匿名であるが故に「ノーリスクで育児放棄」を試みる親も現れるはずだ。
諸々の事情があり、苦心の末での決断だというなら、それは仕方の無い事なのだろう。
私は、強姦で産まれた子供を絶対に自分の手で育てろとは言わないし、中絶をするなとも言わない。
痛みを理解できない立場であろうと、難しいのは分かる。
ただ、モラルの低い親も同じ恩恵を受けられるため、この制度は更なる育児放棄を助長する要因となり得る。
また、親に捨てられた子供はどうなってしまうのか。
人権は保障されるのか。
都市伝説さながら実験体や、薬物の材料になったり、或いは余りすぎて処分されたりしないだろうか。
生まれてくる命に罪は無い。
いずれにしても不幸なのは子供である。