紆余曲折を経て人間不信。
人を好きになる事に抵抗はない。
ただ・・・人を、愛すべき足手纏いを、信じる事が「難しい」と感じるようになった。
期待や信用は情熱よりももどかしさを招き、不甲斐ない者の傷を執拗に深めるばかりだ。
不安を押し殺して見る夢に、果たしてどれほどの価値があるだろうか。
願望は叶える事よりも抱き続ける事の方が・・・
私の心は今も昔も虚無と渾沌。
暗く冷たい土中のようなネガティヴ思考がよく馴染む。
自分にとって思わしくない状況の大半は、自身が招いたものである。
酒の席でウダウダ言う「悩みらしきもの」がそうだ。
対策を講じる気力を取り戻すために「ちょっと聞いてくれ」と言う人の話は好きだ。
素直に応援したくなるし、必要なら手を貸したいとも思う。
発散して満足する「ちょっと聞いてくれ」と言う人の話はしんどい。
「それって自業自得なんじゃないの?」を何度も言いそうになるが、気まずくなるし、何より認めたがらない。
認めたとしても実践しない。
無駄なコミュニケーションだと感じてしまう。
いい年なのに、我ながらまだまだ大人になれないorz
ところで、因果応報をシンプルに説明すると
『善い行いをしたものには善い成果があり、悪い行いをしたものには悪い成果があり、自分の行いの報いは自分が受ける』
と云う意味合いになるが、これらが当てはまらない場合もある。
天災・難病・無差別な殺戮・・・大抵はシャレにならない。
『あの子が、私が何か悪い事をしたの?』
と、嘆きながら散っていった命は因果応報なのだろうか。
もっとも、仏教徒ではない私が、用語をかいつまんで疑問に思ったところで、仕様のないことなのだ。
ただ言えるのは、あくまでこれは自分を戒める言葉であり、人の不遇を揶揄するために用いるものではない。
有象無象は受け流し、大切な者の力となり、窮地の者には手を差し伸べる。
知る、言う、までは簡単だ。
体現できる人間になりたい。