紆余曲折を経て人間不信。
人を好きになる事に抵抗はない。
ただ・・・人を、愛すべき足手纏いを、信じる事が「難しい」と感じるようになった。
期待や信用は情熱よりももどかしさを招き、不甲斐ない者の傷を執拗に深めるばかりだ。
不安を押し殺して見る夢に、果たしてどれほどの価値があるだろうか。
願望は叶える事よりも抱き続ける事の方が・・・
私の心は今も昔も虚無と渾沌。
暗く冷たい土中のようなネガティヴ思考がよく馴染む。
気の利いたオチも何も無く、ふと思っただけの事。
日常の困難や理不尽(ありふれたもの)をモチベーション(価値ある意識)に変える考えだとか、夢を追いかける気持ちというものは、それに相当するのではないのかと。
差し詰めポジティヴ思考は「賢者の石」と言ったところか。
一見、何でもないところに意外な宝が埋もれているものだ。
・・・大袈裟か(゚д゚;)
ネガティヴ思考者へ捧ぐ【前編】の続き。
ネガティヴ思考者の歩む道は、私の知る限り・・・
今までの自分に「さようなら」をするか、
そんな自分を「認め、受け入れる」か、
の2つだ。
敢えて「ポジティヴにならなきゃ!」と無理をする必要は無い。
しかし、なりたいなら目指せば良い。
ここで言いたいのは「否定的な自分を、闇雲に否定しなくても良い」という事だ。
むしろ、ネガティヴ特有の不安や焦りを突き詰めてはどうだろうか。
いわゆるメタ思考である。
根源は何か?
それは事実に基く可能性か・・・それとも予感か?
根拠はあるのか?
何か備える事はないか?
どうすれば不安や焦りから逃れられるのか・・・
行き止まりまで自分を探ってみれば、何かしら結論に辿り付くはずだ。
その上で出来る事があるなら、手を打てば良い。
但し、人に迷惑をかけない前提で。
何も出来ないようなら、それを気持ちの波だと認識し、そこで初めて「悩む必要の無い事だ」と自分に言い聞かせるのだ。
不安とは、言わば心の影であり、その正体は自分の一部に他ならない。
世の中に不安があるのではなく、自分が不安を作っている事に気付き、自分の弱さを知ろう。
ネガティヴ思考は、悲観的で生々しい幻に取り憑かれやすい厄介な性質だが、自分を深く知る事で、"危機管理能力"や"痛みを知る心"へと昇華できるものだと思う。
かといって、ネガティヴにこだわらなければならない訳ではない。
「個性」として付き合っていくのも「コンプレックス」として克服を図るのも自由だ。
必要なのは、意志を持つ事だ。
あまり考えない人間より、考えている人間の方が、私は好きだ。
願わくは、自分を卑下したり、営利目的の人格矯正などに踊らされない事を・・・
ネガティヴ(ネガティブ)思考とは、しばしばマイナス思考とも言われ、"否定的"または"消極的"な考え方を指す。
端的に言えば・・・"根暗"である。
かく言う私も根暗だ・・・(-_-)
公言するぐらいだから半端ではない。
エピソードは面白くないから書かないヽ(#゚Д゚)ノ
明るい歌より暗い歌の方が共感しやすくて好きだ。
さて、一般に「ネガティヴは良くない」とされているが、本当にそうだろうか。
性格は明るく前向きに越した事は無い。
天真爛漫な人は魅力的である。
言われるまでも無く、同志の大半は分かっているはずだ。
が、ポジティヴに矯正する事が最善なのだろうか。
私の答えは「No」である。
そして・・・「暗くてもいいんだよ」という話に続く。