紆余曲折を経て人間不信。
人を好きになる事に抵抗はない。
ただ・・・人を、愛すべき足手纏いを、信じる事が「難しい」と感じるようになった。
期待や信用は情熱よりももどかしさを招き、不甲斐ない者の傷を執拗に深めるばかりだ。
不安を押し殺して見る夢に、果たしてどれほどの価値があるだろうか。
願望は叶える事よりも抱き続ける事の方が・・・
私の心は今も昔も虚無と渾沌。
暗く冷たい土中のようなネガティヴ思考がよく馴染む。
夢を持ち、追いかけるのは、素晴らしい事だ。
そして、夢がついえるのは残念な事だ(ノA`)
最も身近な願望であり、人生の究極でもある夢。
一見、美徳のようだが、意外に厄介な特性を持つ。
・・・ここでピンと来た人は、なかなかの暗黒人である。
本題は、夢の占有率だ。
夢には3通りの結果「実現・挫折・保留」が伴う。
基本的に実現は最良の結果と言えるが、挫折もまた“己を知る”上で、重要な結果であろう。
保留は状況によって意味合いが変わるため、ここでは追究しない。
さて、夢の結果の後に訪れるのは、何だろうか?
充足感か、絶望か、それとも前と変わらぬ日常か・・・これらは結果の副産物なのだが、それぞれの大きさは夢の規模、もしくは夢への執着の度合いに比例する。
大きな夢ほど、叶った時の喜び、叶わなかった時の絶望は深い。
さらに、それが唯一の夢であった場合・・・及ぼす影響は、なお顕著になり、結果に関わらず“燃え尽きる”リスクが発生する。
いわゆる「燃え尽き症候群」である。
燃え尽き症候群の大半は、休養によって改善される。
周りにそれらしき人を見かけた場合は、休ませてあげよう(゚д゚)
ところで私は、夢には「麻酔性」があり、これこそが「夢の厄介な特性である」と考えている。
人は、夢に必死になると無理をしがちである。
夢への憧れが、普段はできないような無理をも可能とするからだ。
抽象的な表現になるが・・・夢の実現を至上として、あまりに無理を続けると、後戻りができなくなるところへ行ってしまう。
期待した結果が出ているうちはまだ良いのだが、占有率の高い夢が挫折してしまった場合に待ち受けるのは、絶望の果ての「精神崩壊」か「死」だ。
頑張るのは良い事だが、当たり前なのだから、怠け者を相手にする場合を除き、わざわざ強調しても仕様がない。
「人が人らしくあるためには、時には頑張らないのも大事」
むしろ、これを広めるべきだ。
夢に毒されてはならない。
夢あっての自分ではなく、自分あってこその夢である。