色々あって、長い付き合いの友が最愛の人となった。
寂しいからでも安易な選択でもなく、睦まじき人として必要、と認識したからだ。
今の自分だからこそ、力になれると思った。
今の貴女だからこそ、魅力的に感じた。
ただそれだけの事をどうすれば分かって貰えるか・・・人知れず悩んでいた。
言葉を搾り出すのに著しく時間を要した。
その甲斐有ってか、何とか本懐を遂げる事ができた。
強化、修正、反証、消去。
思索の果てに訪れた分岐点。
かつて破綻した感情の因子が再生する日が来ようとは。
私を受容した英断に感謝。
真に受けるのはどうかと思うが、ネタとしては面白いと思った記事。
lifehackerの「女の子からメール返信が来なかったときの5つの心構え」がそうなのだが、要点を抜粋するとこんな感じである。
筆者の必死かつ切実な心境が滲み出ている(´・ω・`)
私が放ったらかしにする方だからなのか、1以外はイマイチ共感できない・・・と言うか、2~5は1を膨らませただけのように思えてならない。
寧ろ、顰蹙を覚悟で「メールが来ない状態は、それほど好ましくない事なのか」と言いたい。
親しい間柄であれば相手を信じれば良いだろうし、そうでなければ相手にとって自分のメールの価値はそんなものだと思えば良い。
メールの内容の問題なのか、貴方自身の問題なのか・・・は胸に手を当てて少し考えてみればどうだろう。
メールを送信した貴方は何を望んでいるのか。
「メールが返って来ない」という現実に対して、貴方がただ不安なだけだというのなら、それはただのエゴではないだろうか。
「読んでもらえれば十分、リアクションがあれば儲けもの」ぐらいのゆとりは持てないだろうか。
大事な用事なら電話をすれば済む話。
人の心に沁みるのは、駆け引きよりも思い遣り。
間柄に関わらず相手を尊重し、悶々としている暇があれば、温度差を察するべきだ。
人はそれほど暇ではないのだから。
感謝と諦めで葬ったはずの感情が、成仏し切れない幽鬼のごとく夢に現れる。
再現率の高い残像は、癒すどころか爪痕をなぞり直すような痛みを進呈する。
屈託の無い笑顔、私を呼ぶ声、安堵を認知し、気の緩まる感触・・・辞めてくれ。
私の好きな貴女は、とうに私を置いて死んだのだ。
そして私も貴女を想い、敬い、後を追った。
今更、それも現実ではなくただのヴィジョンに苦しめられる理由が分からない。
私を何処へ連れていこうというのだ。
貴女にとって私が無用であるように、私も貴女を必要としていない。
それに今は気になる人が居る。
足を引っ張るのは誰だ。
優しく囁く悪夢の正体が分からない。
仮に「深層が奇跡を望んでいるのだ」と偉い人に指摘されようと、私は絶対に認めない。
利いた風な分析にカテゴライズされてなるものか。
少なくとも・・・悲劇に酩酊するほど弱くはない。
粉々に砕いた私の中に、まだ貴女の色の破片があったとしても、前に進むと決めたのだ。
記憶よ意思よ未来へと向かえ。
新しい喜びを手にして見せよう。
すべての私よ、力を貸してくれ。
苦悩はいつか架け橋になる。
信じろ、悼む夜が明ける日が来たのだ。
今になって、ようやく少し覚えた気がする。
独りで生きるのが怖い。
言い知れぬ心細さだけがいつも鮮明で、拭い切れない不安に自身の弱さを痛感した。
人を想う気持ちを偽りこそはしなかったが、私がこれまで求めていたのは恋人などではなかったのかも知れない・・・
自分を磨く動機。
自分の居場所を確かめる磁石。
そして、自分が狂ってしまわない為の制御装置。
何よりも大切な存在は陶酔に似た錯覚で、やはり自分が一番大事だったのだ。
それでも、今まで良い恋愛をしてきたと思う。
深い深い悲しみはあっても後悔はないし、そもそも私が人に惹かれる事が、奇跡に等しいのだから。
取り巻く環境は私が伴侶を得ることを望んでいるようだが、そんな気にはなれない。
安売りも身構えもせず、自分の気持ちには正直であり続けたい。
破綻したのは私のシナリオでしょうか。
それとも貴女の心なのでしょうか。
貴女の入院宣言から、今日でちょうど7カ月・・・貴女との唯一の通信手段が途絶えました。
「そんな馬鹿な!?」という驚きと、「ついにこの日が来たか」という諦め。
相反する感情の交錯に、私は吐き気と眩暈を催しました。
勤務中は、周りに動揺を悟られまいと仕事に没頭しました。
時折、目を瞑ることで、独特の息苦しさと思考力の低下を紛らわし、呼吸を整え、心が堕ちるのをひたすら拒みました。
元より死に魅入られた私です。
絶望の果ての自害も悪くはありませんが、今の私には背負っている役割が有ります。
それを完遂するか失うまでは、責任を持って生き続けなければなりません。
痛みと悲しみに満ちた苦行です。
実は、貴女の眼の虚ろな様を認めた時に、薄々この事態を予見していました。
真の苦痛とは、自分に降りかかるものではなく、大切な人を苦しめるものだと知りました。
貴女に出会い、人を認め、許し、慈しむ心を覚えました。
未来を共にする確率が、限りなくゼロに近い今でさえ思います。
この手に貴女を救う力があるのなら・・・と。
痛みより、悲しみより、自身の不甲斐なさより、無事かどうかが気掛かりです。
この先、もう二度と会わないとしても「さようなら」とは言いません。
恐れていた筋書きを受け入れる猶予をありがとう。
あなたと過ごした1年、待ち続けた7ヶ月、この期間がなければ、今の私は居なかったでしょう。
貴女を想い続ける日々は本当に幸せでした。
そして、これが何かの間違いで、また巡り合える日が訪れるのを、今も願わずには居られません。
どうかお元気で。
そして、お幸せに。
草々
30年目にして初めてクリスマスを独りで過ごすのだが、別にどうという事はない。
強いて言うなら、お手製ホットケーキとHappyプッチンプリンで胃が破裂しそうになって苦しかったぐらいだ。
Happyプッチンプリン+αを平気(しかも神速)で平らげるギャル曽根の偉大さを、今更ながら理解した。
むしろ無理して体を壊さないか心配である。
クリスマスで盛り上がるのは結構な事だ。
ミュージシャンの活動やTVの特番、飲食店のメニューなどに力が入るこの時期は面白い。
ただ、恋人作りに必死になるのはいただけない。
・・・ネタなのか?
それとも、どこかのニュースの通り、聖夜と性夜を履き違えているのか。
宗教云々以前におかしいと思う。
人数よりも「誰と過ごすか、共にするだけの相手かどうか」が肝心ではないのだろうか。
今に始まった話ではないが。
私は、訳有って大切な人に会えない。
それは一時的なものかも知れないし、もしかすると二度と会えないのかも知れない。
相手の承諾を得ていないので、理由は「大人の事情」としておく。
その答えが出るまでの間、出来るだけの努力をして、結果は甘んじて受け入れるつもりだ。
自業自得で荒れた人生を「この人とならやり直せる」と思った相手である。
昔の自分なら、繋がりを失った時点で生きる意味を見失っただろう。
この少しばかりのしぶとさと開き直りが、今年のクリスマスプレゼントのような気がした。
願わくは、あなたに良き聖夜が訪れん事を。
大切な彼女がピンチなのかもしれない・・・自分よりはるかに前向きで元気だったのに、今は人と会えないくらいに疲弊している。
経緯をまとめると
主な特徴は「人を遠ざけたがる」「人の気配を感じるとイライラする」等だ。
最初はギャップに戸惑ったが、自分に当てはめてみれば「燃え尽き症候群ではないか?」という推測に至った。
心の病には造詣が深いつもりだったが、所詮プロではない。
非日常を目の当たりにすると無力な自分が情けなくなる。
鬱に近い症状が見られる。
少し距離を置いて様子を見るのが最善だと判断し、彼女の望む通りにしてみようと思う。
話をして、只事ではないのは理解した。
燃え尽き症候群でなくとも、休養は必要だ。
これは鬱の基礎知識なのだが・・・疲れてしまった人に「頑張ろう」や「急ごう」は負担でしかなく、禁句である。
出来れば覚えておいていただきたい。
しんどいにも関わらず、自分の状況を時々連絡してくれる彼女。
それに癒されながら「回復を待つのは無力な行為ではない!」と、自分に言い聞かせる私。
いつでも動けるように、気持ちは常に戦闘モードだ。
二人の共通の夢にして、憧れの「平穏な日々」は、まだ先のようである。
連絡が付いて、一息付いた。
auは保留のバリエーションが多くて判断が難しい。
急用で今日は「始まりの日」ではなくなったが、朝焼けの美しさを眺めるだけのゆとりは出来た。
大げさとは言え、命拾いをした気分だ。
私は、人に恋愛上でアドバイスをする際に「依存は良くない」と自分は"さもバランスをうまくとっている"かのような口振りで言う。
だが本当は、何より"依存がもたらす苦しみを理解している"という自負からなのだ。
依存だからこそ得られる「力」もあるにはあるが・・・
迷彩の如く1コール後あたりに発動するが、98%着信拒否な訳でorz
この状況に錯乱状態の自分が居る。
しかしメールは送信できる。
返事は来ない。
本来は恥ずかしくて記事になど出来る訳がないのだが、私は書き留める事で「正気」を保っている。
「自称:心配性」な私は、自分の置かれる「境遇」よりもあの人の「安否」が気になる。
明日になれば答えが出る。
それは・・・
「なんだ、そうだったのか!」
と笑い飛ばしている自分なのか、それとも・・・
あと2日黙っていれば「公言するとコケる」というジンクスを回避できるのだが、囚われている自分がバカらしくなったのでプチ発表(゚∀゚)
昨年から好きな人が居て、6月2日(土)から一緒に生活をする予定。
「この人が側に居てくれたら、私は真っ当な人間に軌道修正を出来るんじゃないか」という期待と純粋に「必要だ」と思う気持ち。
この想いの行方は?
帰る場所など何処に在りましょう 動じ過ぎた もう疲れた 愛すべき人は何処に居ましょう 都合の良い答えは知っているけど
元ネタ:椎名林檎『ギャンブル』
久し振りに邦楽で良い曲を聴いたため、浮かれ気味に投稿。
秀逸な楽曲もさることながら、虚無感が漂う歌詞に共感する。
最もグッと来た部分をタイトルにしてしまった(´ー`)
ちなみに「ギャンブル」は『絶頂集』に収録されているものと、『平成風俗』に収録されている映画「さくらん」用にアレンジされたものの2種類がある。
ブリティッシュロックを髣髴(ほうふつ)とさせる通常版も捨てがたいが、個人的にはオーケストラ調でパワフルでかつ斉藤ネコが絡んでいる「平成風俗」版がオススメだ。
この曲の魅力は「念」を感じさせる歌唱にあると思う。
私は「灰になれば皆喜びましょう」辺りで鳥肌が立った。
帰る場所も、愛すべき人も、果たして私の手の届くところにあるだろうか・・・
そんな気分で堪能した。
関連リンク(外部):ギャンブル視聴 -You Tube- PC専用 映画「さくらん」公式サイト PC専用(要FLASH)
※トップページのBGMがギャンブルなので、FLASHが動作する環境なら視聴可能。
リーブ21の現代人の家族観に関するアンケートによると、「最も悩みを相談する相手は誰か?」の1位が「妻」で、この回答は全体の45.9%を占めるそうだ。
対して、女性の「夫」という回答は全体の33.3%らしい。
仲むつまじいのは結構な事だ。
しかし依存となると・・・少々気掛かりである。
第一、依存関係は失った時のショックが病的だ。
ただ、これはどうしようもないので覚悟を決めるしかない。
また、依存傾向の強い人間の意見としてありがちなのが、「○○がそう言うのだから正しい、大丈夫!」のような短絡的な判断である。(専門分野は除く)
ここが引っ掛かる(゚д゚)
「人を信用するな」ではなく、「自分はそれに対して、どう思っているの?」と問いたい(`・д・´)
「恋は盲目」と言うが、夫婦には言語道断であり、恋人であろうと生活に絡む話なら、そこは冷静になるべきではないだろうか。
些細な事にまで考えを巡らせる必要は無いが、「保険、口座の開設、大きな買い物」に関しては、情報の共有や意思の疎通を怠るとトラブルの元となる。
「愛情」と「信頼性」は別次元の問題。
例えば、恋人が方向音痴だったとしよう。
どれだけ愛していても、彼(または彼女)の方向感覚は信頼できないのは明白である。
これが分かりにくい短所であれば状況は複雑になるが、基本的には同じだ。
結局は理想論なのだが、夫婦であればパートナーの弱点を把握し、フォローし合える関係・・・いわゆる「共生」こそが、望ましいと思う。
RPG(Role Playing Game)で一躍有名になった言葉。
「役割を演じる」という意味で、"昔の役者はロール(巻物)を台本として役を演じていた"事に由来するらしい。
芝居に限らず役割を演じる機会は、人生において多々ある訳だが、余り演じる事こだわると"本当の自分って何だろう病"にかかるので、程々にしよう(´Д`)
人には立場に見合った役割なるものが与えられる。
部員、委員、教師、校長、労働者、役職者、役員、責任者、ファン、友達、恋人、妻、夫、親などなど・・・枚挙に暇がないくらいである。
ここで述べたいのは"役割との付き合い方"だ。
例えば、夫婦は恋人の延長線上にあるものではない。
夫として、妻として、それぞれの役割に伴う責任や義務、そして権利が生じるからだ。
成熟性か成長性が必須であり、何よりトラブルやら擦れ違いやらに疲れてしまっても"望んで築いた関係"である事を忘れてはならない。
可能な限り修繕を試みるべきである。
その覚悟や認識が不完全なまま結婚をすると、かなりの確率で破綻してしまう。
・・・私が良い例だO| ̄|_
「離婚は残念な結果だが、最悪では無い!」を合言葉に頑張ろう、バツイチ諸君。
ところで、社会的な役割として"労働者"を選んだ場合、仕事とプライベートというモード選択があるような話をよく聞くが、私は「望んで選んだ仕事に限っては分けない方が良い」と考えている。
何故なら日常にこそ、生産的な発見が多く、人はプロフェッショナルとの融合よって成長するからである。
「仕事と家庭(私)とどっちが大事なの!?」
そんな考えをあなたの恋人や伴侶が持っているようなら「家庭(君)の為の仕事でもある」事を、それとなく理解させてあげよう。
また、あなた自身がそう考えているようなら、その考えは身勝手で幼稚なものだと告げておこう。
労働者が生活を守る為には"社会的評価"と"組織の繁栄"が不可欠だ。
経営者に至っては、従業員の生活をも背負い込んでいる。
重度の労働中毒者を除いて、組織に尽くす選択は社会人の宿命なのだ。
不意に自分が干渉できない世界へ身を投じられるのは切ないだろうが、事の重要さを理解してあげてほしい。
その上で応援できるようになれば、あなたは今よりも相方の心強い味方になれるだろう。
友達の"興味深い話"に基く考察。
"僕の彼女"やら"私の彼氏"やらには二通りの意味があるという話。
ここで注目していただきたいのは、『の』の部分だ。
一通り目は
僕『の』通っている学校。
私『の』特技。
などと同じ意味合いの、関係を表す『の』
二通り目は
僕『の』車。
私『の』バッグ。
などと同じ意味合いの、所有権を主張する『の』である。
恋人を所有物のように認識する傾向は、独占欲や嫉妬深さに通じるものがあり、「自分色に染めたい」という願望も、その一種と言える。
対象が、自分の運営するサイトやゲームの主人公であれば面白い事だが、意思を持つ人間であった場合はどうだろうか。
※厳密にはペットに対しても言えるが、ここでは論点から除外する。
顰蹙(ひんしゅく)を覚悟で敢えて言おう・・・
そもそも他人である恋人に権限など無い!
夫婦なら家庭を維持するための責任が付いて回るが、基本的には同じである。
故に束縛や矯正はエゴだ。
逆に染められたがりなパートナーが、その行為を善しとするなら、それはそれで良いかもしれないが・・・少なくとも、個を物とする意識が畏れ多い事は知るべきだ。
社会でも同じような事がある。
例えば、部下を私物のように扱う上司・・・これは恋人よりもはるかに悪質だ。
経営者に至っては最悪である。
どうでもいい(どうしようもない)人間はさておき、恋人や夫婦であれば、何らかのオリジナリティに惹かれていたはず。
社会的に、或いは人間的に修正されるべき短所は注意した方が良いが、相手の個性や意思を尊重できるぐらいの寛容さは持とうではないか。
・・・同じ言葉でも二通りの意味があるとか「日本語って面白いね」って締めにするはずが、いつの間にか説教風味にorz
元々、批判的な記事が多いから、まあ良いかヽ(´ー`)ノ
「男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存」は一青窈の名言らしい。
PCユーザーの心を掴むよく出来た言葉だ。
この傾向に対して私的意見を述べるなら・・・"形式を変換して保存"をオススメする。
過ぎた事はもはや恋愛ではない。
時と共に曖昧になる思い出は、良いとも悪いとも言い難い。
ただの記憶(データ)である。
むしろ「いっそデータ化してしまえ!!」と言いたい。
昔の恋人と今の恋人を比較する人がいる。
「前はココが良かった」
「今はココがイマイチ」
「あ、そう・・・( ´д`)」
理想の異性とやらを必死に主張する人がいる。
「見た目は3割で中身が7割」
「尽くすタイプが良い」
「フーン・・・( ´_ゝ`)」
・・・必要性の感じられない恋愛観はさておき、過去を経験や教訓として今後に生かすのは、素晴らしい事だ。
基本的に恋愛と言える関係は、別れるつもりで築かれるものではない。(ごく一部の、実益を求める輩は除く)
その先に各々の夢やら理想形が有ったはずだ。
しかし、それが何かしら残念な理由で破綻するのだorz
「何が良くなかったのか」
「そもそも"良い"って何だ!?」
「どうすればいいのか・・・」
記憶の発掘は痛みを伴うが、失恋(敗戦)から学ぶ事は山ほどある。
恋愛を"娯楽"と考えていいのは、10代までだ。
20代からは"幸せを探す旅"で、30代以降は"サバイバル"だ。
幸せに繋がらない幻のような恋愛に至っては"独り善がり"だ。
学習して勝利しろ、と。
いい歳になってきたから断言できる。
継続中こそが最優先事項であり、今側に居る人は、何よりも大切なのだ。