code#16160eでタグ「記念日」が付けられているもの

ちょうど8年前に入籍をしていた。
ゾロ目である事と、記念日を特別な日と重ねる事が、ロマンだと思っていたからだ。

若気の至りとはよく言ったものである。

当時、落ち着きたい一心で結婚願望が強かった。
ただそれだけの事で、課せられる重責、果たすべき役割等はまるで分かっていなかった。

協調性、包容力、反骨精神、忍耐力・・・私に欠けているものは未だ枚挙に暇がない。


「結婚は幸福の前提条件か」と問われると、私は「違う」と答える。
「なら避けるべきシステムか」というと、そうでもない。

配偶者と人生を共にする、子供を儲ける、持家を購入する・・・壮大ではあるが、いずれもライフスタイルの選定に過ぎない。

生物として子孫を残す重要性は、今時の人間には当てはまらない。

なるべく他人を悲しませる事なく、自分が満たされる生涯を送れれば、それで良いではないか。

人を裏切るな。

空気に流されるな。

世を呪うな。

悪いと分かっている事をするな。

穢れなき生涯などあり得ないからこそ、限りなく清くあるべきだ。

・・・半ば自分に言い聞かせながら。

30年目にして初めてクリスマスを独りで過ごすのだが、別にどうという事はない。
強いて言うなら、お手製ホットケーキとHappyプッチンプリンで胃が破裂しそうになって苦しかったぐらいだ。

Happyプッチンプリン+αを平気(しかも神速)で平らげるギャル曽根の偉大さを、今更ながら理解した。
むしろ無理して体を壊さないか心配である。


クリスマスで盛り上がるのは結構な事だ。
ミュージシャンの活動やTVの特番、飲食店のメニューなどに力が入るこの時期は面白い。

ただ、恋人作りに必死になるのはいただけない。
・・・ネタなのか?
それとも、どこかのニュースの通り、聖夜と性夜を履き違えているのか。
宗教云々以前におかしいと思う。

人数よりも「誰と過ごすか、共にするだけの相手かどうか」が肝心ではないのだろうか。
今に始まった話ではないが。

私は、訳有って大切な人に会えない。
それは一時的なものかも知れないし、もしかすると二度と会えないのかも知れない。
相手の承諾を得ていないので、理由は「大人の事情」としておく。
その答えが出るまでの間、出来るだけの努力をして、結果は甘んじて受け入れるつもりだ。

自業自得で荒れた人生を「この人とならやり直せる」と思った相手である。
昔の自分なら、繋がりを失った時点で生きる意味を見失っただろう。

この少しばかりのしぶとさと開き直りが、今年のクリスマスプレゼントのような気がした。

願わくは、あなたに良き聖夜が訪れん事を。

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嬉しくない誕生日10周年\(^O^)/
そして、キリのいいところでブログを再開。

ベタではあるが、記念日は行動を後押しするのに有効だ。
デザインやコンセプトに思うところがあるので、何とかしたいところである。

さして落胆もなく、かといって感動などがある訳もなく…「中身が実年齢に追い付いてないのでは?」という焦燥と、何とも言えない節目の自覚がある。


私は何のために生まれて来たのか。

私は生きて何がしたいのか。

今までを振り返っては、お決まりの自問自答。
永遠の問掛けに、一応の回答はまだない。

30年間“生きてて良かった”と思ったことはまだないけれど、産んでくれてありがとう。


昨日が誕生日なのだが、カクテルで悪酔いして投稿ができなかった orz


イタイ滑り出しだが、前進あるのみ。
そんな気持ちで精進しようと思う。

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ご存知、七夕である。

私にとっては旧結婚記念日でもある。
ええ、バツイチですが・・・何か?

やれ織姫だの彦星だの牽牛だのアルタイルだの天の川だのミルキーウェイだの時節の薀蓄(うんちく)は、余所様に任せるとして・・・今日は行事的に願いをしたためる「いじらしい日」なのだ。


もっとも暗黒的には、神様仏様頼みや他者からの救いを肯定するはずもなく・・・

「願掛けや縁起担ぎに割く時間があれば、実現のための努力に費やすべきでは?」

が持論である・・・が、七夕に限っては無粋なので自粛する。

願いを書くなり叫ぶなり、夢を語るなり好きにすれば良いと思う。

ネタだと思われるかもしれないが・・・私は幼い頃から短冊には「不老不死」としか書いた事がない・・・・・・本当だヽ(`Д´)ノ


願いと云えば

「みんなの願いは同時には叶わない」

宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」の一節が頭をよぎる。

残念だが、全くもってその通り。

同時でなくとも叶わない。

左右(とかく)この世はままならぬものよ。


あなたはこんな世の中で、何を望み、何を願う?

今はもうこの世に居ない我が子。

特に親しくない人とのそれとない会話で「お子さんは?」と聞かれると、思わず「居ません」と答えてしまう。

その度に、とても申し訳ない気持ちになるのだが、子供を亡くしたバツイチを語ることで雰囲気を暗くしてしまいそうなのがイヤだったし、同情と好奇心の混ざった視線を向けられるのが苦痛だ。

「こんな私は今でも父親なのだろうか」とふと思う。


胸を張って言える程、自分は強くないけれど、君に出会えた感謝と愛情は忘れない。

ホワイトデーは日本独特のイベントらしい。
故に、ホワイトデーに何を返すか・・・これは世の日本男児の永遠のテーマかもしれない。
特に義理!なんとういう社交辞令・・・orz

義理返しは1.5倍という風潮は理解に苦しむ。
対価を求める義理がどこにあるのかと。
・・・・・・釣りか?

私の周りには、そういう輩が居ないので、ネタだと信じたいところだ。

バレンタインに「お返しは要りません」と言い切る人には、好感が持てる。

「それすらも計算!?」とは考えないようにしている。


この時期になるとオレンジデーやらブラックデーなるものもあるのですよ的なネタが氾濫して、おなかいっぱいになる。

貧民としては、商業的イベントに踊らされる日が減るのを望む。

これもまた永遠のテーマか・・・


本当に大切なのは二人だけの記念日。
最後に良い事を言ってみる。

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